
「耳を塞ぐことがやめられない」――いや、正確に言うと「塞がずにはいられない」。
私は診断済みのASD(自閉スペクトラム症)とADHDを併せ持つ。
日々の生活にはいろいろと工夫が必要だけど、その中でもとりわけ大変なのが聴覚過敏だ。
いつどこで「殴られるような音」に襲われるか分からない。
そう、私にとって大きな音や甲高い音は、文字どおりハンマーで頭をぶん殴られたように感じるのだ。
「五感が閾値を超えると別の五感として感じる」という話を聞いたことがあるが、その表現がピタリと当てはまる。
だからつい耳を塞いでしまうし、場合によってはその場にうずくまってしまうこともある。
本記事では、私自身が感じてきた聴覚過敏のリアルな体験や、ヘッドホンがどのように「盾」の役割を果たしているかを、思いきり語ってみたいと思う。
「なんでそんなに耳を塞ぐの?」と不思議に思う人に、少しでも「こういう世界もあるんだな」と伝わればうれしい。
聴覚過敏と私
「大きい音=暴力的」という感覚
子どもの金切り声や金属が擦れる音を耳にしたとき、私の身体は反射的に「戦闘モード」に入る。
普通の人が「ちょっとうるさいな」と感じるレベルをはるかに超えて、全身にビリビリと衝撃が走るのだ。
突如、背後から誰かに殴られたように感じて「うわっ!」とフリーズする。
息ができなくなることもあるし、動悸が激しくなって、その場に座り込むしかないこともある。
とくに避けづらいのが予期せぬ音だ。
工場のように「ずっと音が鳴り続けている」場所は、あらかじめ覚悟ができれるので、まだ受け身が取れる。
でも、街中や公共の場所で突然飛び出す「子どもの絶叫」や「金属がぶつかる高音」は不意打ちだ。
まさに想定外のパンチを顔面に食らうようなもの。
だから私は無意識のうちに、耳を塞いだりうずくまったりして“ダメージ”を減らそうと必死になる。
「耳が良い」わけじゃない
誤解されがちだけど、私は「音を広く拾える特殊能力」を持っているわけではない。
むしろ生まれつき、平均より聴力は悪い。
片耳なんて、確か平均の半分以下の聴力もない。
聴覚過敏の感覚は“聴力が高い”、要するに“なんでも聞き取れる”という単純な話ではないのだ。
私の場合は「高音域が極端に際立って刺さってくる」イメージだ。
イコライザーで高音だけを限界までブーストして、甲高い不愉快な音だけ爆音になる――そんな感覚。
だからこそ、日常のちょっとした雑音でも、予期せぬ音だったり、キンキン響く音だったりすると一気にダメージが大きくなる。
耳を塞ぐ理由
1分間だけ世界から逃げたい
大きな音に襲われた瞬間、私はしばしば耳をふさぐ。
そして目をつぶり、頭を振るか、どうにか意識を外へ飛ばそうとする。
それをしないと、全身をつんざくような衝撃に耐えきれない。
周囲の人からすれば「何やってるの?」と思われるかもしれないが、そのときの私は「暴力を受けた直後」のような状態だ。
周囲の視線を気にする以前に、とにかく一刻も早く落ち着きたい。
落ち着くまでに数十秒~1分くらいかかることもあるけれど、そのあいだ周りがどう見ようと正直なところ構っていられない。
「我慢すれば?」は通じない
小さいころから「音が嫌だからって耳を塞ぐなんて、我慢しなさい」と言われる人もいるそうだ。
私は幸いそうは言われなかったが、当事者の立場からすると「我慢? どうやって?」となる。
大音量の衝撃を受けながら笑顔でこらえるのは、ボクシングの試合でパンチを食らいつづけながら“痛いの我慢してね”と言われるようなものだ。
そもそも、我慢を強いられたところで何とかなるレベルじゃない。
“攻撃”が続く環境にいれば、その場から逃げる以外の選択肢が見つからない。
そのために人混みを避けたり、土日のファミリー層が集まりそうな場所には行かないようにしたり、自然と「行動制限」がかかってしまうのも事実だ。
ヘッドホンという「盾」
ヘッドホン信者になったきっかけ
私がヘッドホンを常用するようになったのは、PCゲームを始めたのがきっかけだった。
ヘッドホンを装着すると外の音がほとんど気にならない。
最初は「ゲームに集中しやすい」くらいに思っていたけれど、やがて「聴覚過敏のダメージを軽減する盾」になることに気づいた。
それ以降、自室にいるときは密閉型のヘッドホンが手放せなくなった。
ノイズキャンセリング機能付きのヘッドホンも試してみたが、私はあの独特の圧迫感ある音処理が合わず、結果的に密閉型×ピンクノイズが最強コンビになった。
ピンクノイズを流して安定を得る
ピンクノイズ――いわゆる自然界に近い周波数バランスのシャーッという雑音――を流すと、突発的な音の刺激がだいぶ和らぐ。
静かな場所にいても細かい音が気になることがあるので、私は日中はほぼ常にピンクノイズを流している。
面白いのは、こうした「一見ただの雑音」が耳の過敏を薄めてくれる点だ。
まるで“自分だけの安全地帯”を常時展開しているようなもので、外からの刺激にいきなり殴られるリスクを低減してくれる。
イヤーマフ・耳栓との違い
「耳栓じゃだめなの?」と聞かれることもある。
たしかに耳栓を使えば外部の音を遮断できるが、私の場合は「耳栓がずれて音が貫通する感覚」が逆に不快で、しかも外耳道が圧迫される独特の違和感もある。
ヘッドホンだと、耳全体を覆ってくれる安心感が段違いに大きい。
程よい締め付けが「盾を身につけている」ように感じられるし、遮音性が高いので外の刺激をコントロールしやすいのだ。
社会とのズレと対処
「音」が原因で避ける場所・時間
先述したように、私は大きな音が出そうな場所や、子どもの金切り声や金属音が響きがちな環境をできるだけ避ける。
たとえば土日の大型商業施設やお祭りなんかは、私にとってはちょっと“命懸け”だ。
楽しい催し物かもしれないが、あの喧噪の中で予測不能な尖った音に何度も襲われるかもしれないと思うと、出かける意欲すら削がれてしまう。
「ヘッドホンをしている人=音楽を楽しんでいる人」だけじゃない
外出先でヘッドホンをつけている人を見ると、普通は「音楽好きなのかな?」と思うだろう。
でも実は、私のように防御目的でつけている人も少なくないはずだ。
周りからは「話しかけづらそう」「一人の世界にこもってる?」と見えるかもしれないが、それは“耳を守る”ためのバリアでもある。
「イヤーマフをつけているから変わった人だ」「ヘッドホンしてて無愛想」――そういう偏見があるかもしれないけれど、「聴覚過敏の人もいるんだな」という理解が少しずつ広まればいいと思う。
伝えたいのは「違う世界を聞いている」かもしれない、ということ
「聴覚過敏だから、子どもの声が苦手なんです」と打ち明けると、たまに「子ども嫌いなの?」と誤解される。
しかしそういう次元じゃない。
先にも言ったとおり、私にとっては暴力的な衝撃そのものだから、子どもがどうこうではなく「高音・金属音」という種類の音が物理的ダメージに近い不快感をもたらすのだ。
これは「耳の良し悪し」ではなく「感じ方の違い」。
同じ場所にいても、私と他の人ではまったく違う周波数帯や音質で世界を聞いている可能性がある。
だからもし周りで耳を塞いでいる人を見かけても、「大げさだな」と一蹴するより「この人は私と違う音世界を聞いているんだな」と想像してもらえるとありがたい。
まとめ
ヘッドホンは“私の相棒”
私にとってヘッドホンは、単なる音楽プレーヤーの付属品ではなく、大きな音から身を守るための盾であり、いざというときに“安心”をくれる相棒だ。
ヘッドホンをしているときは、外の世界と自分とのあいだに一枚壁があるように感じられる。
どこから殴られても、ある程度防御できる――そんな「万能感」というか、落ち着きが得られるのが大きい。
ただし、ヘッドホンをつけていても避けられない音は存在する。
動画で突然大きな音が再生されたり、思いもよらない場所から金属音が響いてきたり。
そういうときはガツンと衝撃を食らってしまう。
だから過信は禁物だけど、それでも「ある」と「ない」とでは安心度がまるで違う。
周囲へのお願い
最後に、ひとつだけ強く言いたいのは「耳を塞いでいる人がいたら、そっとしておいてほしい」ということ。
本人は必死に“攻撃”から身を守ろうとしている最中かもしれない。
もし話しかけるにしても、少し時間を置いて落ち着いてからがいい。
また、ヘッドホンやイヤーマフをしている人を見かけたら、「ああ、あの人は自分に合った距離感で世界と向き合っているんだな」くらいに思ってもらえるとありがたい。
発達障害の特性は一人ひとり違うし、聴覚過敏も十人十色だ。
同じASDやADHDの人でも「音の感じ方」はかなり違う。
だからこそ「こういう人もいるのだな」と広い目で見守ってもらえるだけでも、ずいぶん心が軽くなる。
「ヘッドホンはいいぞ」
私の率直な想いを一言でまとめるなら、やっぱりこれに尽きる。
「ヘッドホンはいいぞ」。――これがなければ、私はもっと多くのシーンでフリーズしたり、自傷的な行動で耐えようとしていたかもしれない。
いまはヘッドホンをつけてピンクノイズを流す習慣を手に入れたおかげで、自宅なら好きな作業に集中できるし、音のない落ち着いた世界にいつでも飛び込める。
「ヘッドホンで耳を守る」なんて、当事者じゃない人からすれば大げさに思うかもしれない。
でも、これは私にとっては“受け身”を取るための大切な手段なのだ。
自閉症特有の聴覚過敏というハンディを背負っているからこそ、こういうちょっとしたアイテムが心身を救ってくれる。
だからもしあなたの周りに、耳を塞いだり、ヘッドホンをつけっぱなしにしている人がいたら、ぜひ「どんな世界が聞こえてるんだろう」と想像してみてほしい。
そして「そういう人もいるんだ」と受け入れてもらえると、当事者としてはとても救われる。
嘘がつけない人がいるように、音に対して嘘がつけない、いわば感覚にとても正直な人もいる――それが発達障害の“聴覚過敏”の本質なんじゃないかと、私は思っている。
もし誰かが外の音を恐れるように耳を塞いでいたら、そっと見守ってあげてほしい。
彼らが心地よい音や静かな世界に包まれながら暮らせるよう、ヘッドホンという“盾”がもっと広まっていったらいいなと思う。
※ちなみに私は嘘も全くつけない。